鍵のかかった部屋 - 書籍情報- 著者:ポール・オースター
- 翻訳者:柴田元幸
- 出版社:白水社
- 作品刊行日:1986/12/01
- 出版年月日:1993/10/01
- ページ数:232
- ISBN-10:4560070989
BOOK REVIEWS
鍵のかかった部屋というと日本では嵐の大野くんが主演をつとめた貴志祐介原作のミステリードラマが最初に検索ヒットしますが、今回取り上げるのはそっちではなく1986年に出版されたポール・オースターのミステリーっぽくないミステリー小説の方。
そう。鍵のかかった部屋でポール・オースターのニューヨーク三部作も最後なのです!ここまで彼の作品を出版順に読み続けて来ましたが、じわじわっとポール・オースターとはどんな作家なのか、頭の中にイメージが固まり始めた頃。
「おや?なんか前の2つに比べると雰囲気が随分と違うぞ?これはこれは面白いではないか!」なんて事を言っている内に一気に最後まで読んでしまいました。
これぞ、The・小説。
ニューヨーク三部作で注目されたポール・オースター。その三部作は舞台がニューヨークという事で共通していますが、独立した3つの作品です。どれから読んでも楽しめるようになっています。ですが、あえて言おう!『鍵のかかった部屋』だけは最後に読め!と。
なぜこれだけは最後に読まなければならないのか。その理由を踏まえてこの本のレビューをしていきたいと思います。
鍵のかかった部屋はきっと、本を読みたいと思う人、ミステリーを読みたい人にはオススメしづらく、「小説」を読みたい!という人にオススメ出来る作品なんだと思うのです…。
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小説『鍵のかかった部屋』 – ポール・オースター・あらすじ
著者:ポール・オースター
翻訳:柴田元幸
出版:白水社
ページ数:232
小さい頃、僕はいつもファンショーと一緒にいた。しかしいつからか僕はファンショーを避けるようになっていた。大人になった僕の元にファンショーの妻と名乗る女性ソフィーから連絡が来る。ファンショーは美しい妻と数々の原稿を残して失踪していた。不思議な魅力を持つ原稿。その作品の出版を協力をするうちに僕はソフィーを愛するようになった。作品は話題となり、ソフィーを妻として貰い受ける頃、ファンショーから一通の手紙が届くのだが…
読書エフスキー3世 -鍵のかかった部屋篇-
前回までの読書エフスキーは
あらすじ
書生は困っていた。「見えているのに、同時に見ていないもの」と仕事中に寝言を言ったせいで、独り、無料読書案内所の管理を任されてしまったのだ。すべての本を読むには彼の人生はあまりに短すぎた。『鍵のかかった部屋』のおすすめや解説をお願いされ、あたふたする書生。そんな彼の元に22世紀からやってきたという文豪型レビューロボ・読書エフスキー3世が現れたのだが…
鍵のかかった部屋 -内容紹介-
大変です!先生!ポール・オースターの『鍵のかかった部屋』の事を聞かれてしまいました!『鍵のかかった部屋』とは一言で表すとどのような本なのでしょうか?
“書くことと読むことの究極の形をテーマにしたミステリー”デスナ。
あら?ミステリーと言ってしまっていいのですか?前の2つはミステリーのようでミステリーじゃない作品と言っていましたが。
コノ作品についてはミステリーと言ってもよかろうモン!
では、率直に言って『鍵のかかった部屋』は面白い本なのでしょうか?
いまにして思えばいつもファンショーがそこにいたような気がする。彼は僕にとってすべてがはじまる場であり、彼がいなければ僕は自分が誰なのかもよくわからないだろう。僕たち二人はまだ口もきけない頃に出会った。おむつをつけて庭の芝生をはいまわっていた赤ん坊の頃のことだ。七歳になる頃にはもう、僕たちは針で自分の指を刺し、生涯の義兄弟の契りを結んでいた。いま僕が子供の頃を振り返ると、いつもそこにはファンショーの姿が見える。僕といつも一緒にいて、僕の想いを共有し、僕が自分から離れて目を上げるといつもそこにいた人物、それがファンショーだった。
引用:『鍵のかかった部屋』ポール・オースター著, 柴田元幸翻訳(白水社)
コンナ一文カラ始マル“ポール・オースター”ノ1986年の作品デス。読メバワカリマス。
えーっと、読む前に少し評判を聞いておきたいのですが。
読む前にレビューを読むと変な先入観が生まれてしまいマスノデ…
ええい、それは百も承知の上!先生、失礼!(ポチッと)
ゴゴゴゴゴ…悪霊モードニ切リ替ワリマス!
うぉおおお!先生の読書記録が頭に入ってくるぅぅー!!
鍵のかかった部屋 -解説-
今回でニューヨーク三部作もラストになります。
あっという間にポール・オースターの4作品目!ですね。
出版年順とは別に『ムーン・パレス』と『幻影の書』を読んでいますから、
ポール・オースターの作品のレビューだけで言えば、もうすでに6作品読んでいるですね。そう考えると早いですね。
でもまさかポール・オースターがこんなに前衛的な書き方をする作家だなんて、『ムーン・パレス』を読んだ時には思いもしませんでしたよ。
確かにそうですね。ニューヨーク三部作で有名になった作家ですが、その後に書かれた『ムーン・パレス』とはだいぶ書き方が違いますよね。
三部作の一作品目『シティ・オヴ・グラス』と二作品目『幽霊たち』は、正直、かなり尖った書き方だと思いました。
それで言えば、今回の『鍵のかかった部屋』はだいぶ丸みをおびた作品になっていると思います。
『ムーン・パレス』みたいな書き方に近づいていっている途中って感じです。
という事は作品を重ねるごとに、詩人から小説家としての自分のスタイルを確立して行っているって感じなんですかね。
あー、確かにそうかも知れませんね。処女作『孤独の発明』はあまりにも詩的で難解なイメージが強かったですし、『シティ・オヴ・グラス』はそこから脱却しつつも、普通の小説とは一味違う形の作品でした。『幽霊たち』は名前や書き方が独特でありつつも読みやすく変貌していました。
主人公が不在の人物をめぐる依頼を受け、追いかけながらも自分のほうが追い詰められていくというパターンはニューヨーク三部作で統一されています。
多分、ポール・オースターは表と裏について深く追求したいんだと思うんですよ。追いかけている人間、追いかけられる人間。表と裏であるからこそ、どちらも裏になり、表になる。
あー、なんか村上春樹っぽいっすね。「僕は追いかけていた。あるいは僕だけがそう思っていただけで、何かに追いかけられていたと言えるかもしれない」みたいな。
“そこにいるときでも、本当はそこにいないんだ”って『幽霊たち』の中でも言っていましたね。
その点は今回も言及しているんですよ。作者が自分の名を書物に記すことはどういう意味があるのか?って。
読書エフスキー3世
幽霊たちはポール・オースターの3作品目ですが、前回から引き続き発表順に読んでみました。ノルウェー・ブック・クラブが200…
幽霊たちのレビューで言ってた部分ですね。あ、ちなみに今回はどんなストーリーなんですか?
それではあらすじを少々。主人公には小さい頃からずっと一緒にいたファンショーという友人がいました。
訳者あとがきに書いてあったんですが、アメリカの作家ナサニエル・ホーソーンの小説の題名であり、その主人公の名前がファンショーなんだそうですよ。
ホーソーンですか。ポール・オースターの作品にはよく出てくる作家ですね。
>『幽霊たち』ではホーソーンの事をアメリカで最初の本当の作家だと紹介していました。すばらしい短編小説をいくつも書いているとして、ウェイクフィールドという男が妻にイタズラをするという話が。
あ、仕事で3日程度旅行に行くと言っておきながら、実は自分の家から四つ角曲がったすぐの所に新しく部屋を借りて成り行きを見守るってやつですよね。
3日が1週間になり、1ヶ月になり、結局奥さんは旦那さんが死んだものとして葬式をしてしまうみたいな…。
好きなんすかね?ホーソン。僕は『
緋文字』っていう不倫小説しか知らないですけど。しかもホーソンじゃなくてホーソーンなんですね。
『ひもんじ』って読むんですよね。『ひもじ』じゃなくて。
『
ひもじ』はエラリー・クイーンのミステリーですよね。
あ、話がそれて来ましたね。ファンショーという幼馴染の友人がいるという話でした。
そのファンショーという男は主人公にとって憧れの存在だったんですね。何をやっても様になる。
あー、小さい頃そんな存在の子供いましたね。頭も良くて運動も出来るみたいな。
しかもファンショーは自分が優れている事を鼻にかけたりしないので、みんなからも好かれた存在。
そんなファンショーに寄り添い、ファンショーがやることは自分もやる、みたいな感じで少年時代を過ごします。
ただ主人公は、大人になるにつれて、ファンショーがファンショーであるがゆえに、憧れもしながら徐々に距離を置いちゃうんですね。
あー。その気持ちわかります。憧れに近づけば近づく程、遠い存在だと思いさせられて自分が惨めになったりしますもん。
そしてファンショーとは疎遠になり、今は様々な雑誌に作品の批評を書いて生活している。それなりに知名度もある新進気鋭の批評家の主人公。
あ、そう言えば主人公の名前はなんていうんですか?
作品の中には言及がないですね。なので「僕」ですかね。
その「僕」の元に、ある日一枚の手紙が届きます。
差出人はソフィー・ファンショー。ファンショーの妻になった人からでした。
いえ。今回は似ているようで少し違います。確かにファンショーは失踪してしまいました。
ですが、ソフィー・ファンショーの依頼はこうでした。失踪してから私立探偵などを雇ってはみたもののなんの成果も上げられなかった。これは死んだのだと諦めるしかない。そこで「もしも自分の身になにか起きた時には」と、ファンショーにお願いされていた事があると。
いままで書きためた原稿を「僕」に見せるようにと。そしてそれが出版の価値があるなら手はずを整え、そうでなければ一切を棄却してほしいと。
「僕」は正直、ファンショーが結婚した事も知らなかったし、文章を書き続けていた事も知らなかった。突然目の前にファンショーが現れたと思ったら、いない人間として現れた。なのでこの申し出に戸惑いを感じました。
あー、たしかに昔あんなに仲良くしていた友達が結婚していたとしたら、結婚の知らせが届いていない事に凹むかもしれませんね。しかも文句を言う相手が存在しないとなると…。
しかし「僕」はこの申し出を引き受けないわけにはいきませんでした。
なぜならソフィーがものすんごい美人さんだったからです!
依頼を引き受ければ、もう一度ソフィーに会える。出版するようになれば、あれこれ打ち合わせやら契約やらで会う回数増える。そんな考えを捨てることが出来なかったのです。
しかし、ファンショーの文章はそんな僕を叩きのめしました。それはなんというか「圧倒的」だったのです。
才能から目を背ける為に距離をとったのに、文章を読むことでファンショーの才能を再認識してしまったんですね。
ファンショーの文章が出版されると、それはまたたく間に大ヒットします。長編や戯曲や詩集など、たくさんストックがあったので、計画的に順番に出していく。それらすべてが売れに売れます。
そうなると印税がガッポガッポなんじゃないですか?
そうです。「僕」は新進気鋭の批評家でしたが、それまで様々な所に記事を出して小銭を稼ぎ、自転車操業のような暮らしをしていたのです。それが激変。
無名の作家を掘り出した批評家として「僕」も有名になります。
さらに「僕」はソフィーと知り合った1年後、ファンショーの息子ベンを養子として引取り、ソフィーと結婚します。
ぬぬぬ!親友の奥さんと結婚しちまいやがりましたか!くぅー、にくいねえ!…あ、それにしても、先生?
なんか今回の作品はだいぶ毛色が違いますね。ミステリーって言うよりも、純文学って感じで。
でも先生はたしか最初にこう言いました。「不在の人物をめぐる依頼を受け、追いかけながらも自分のほうが追い詰められていくというパターン」と。
結構ここまでで話出来上がってませんか?憧れていた親友。しかし大人になってみると立場逆転。地位や、お金、相手の奥さんまでも手に入れてハッピーエンド。
ここからですね、妙な噂が立ち始めるのです。
ファンショーなんて作家は存在しないんじゃないか?実は「僕」が名前を変えて書いた作品なんじゃないか?と。
あー、それで「作者が自分の名を書物に記すことはどういう意味があるのか?」って事になるんですか。
「僕」は最初、そんな噂話なんて相手にしていませんでした。世間はそういうの好きだよねって感じで。ですが、出版社の担当さんでさえその噂を真に受けている事に気がついてしまったのです。
うわー、ファンショーの幻影が主人公を苦しめ始めるわけですね?
ファンショーの幻影。確かにそう言えるかもしれません。
いくら新進気鋭の批評家であっても、ファンショーのマネして新しい魅力的な作品を書けるわけもないでしょうし。
「僕」を苦しめたのはその事ではありません。
ええ。実はソフィーと結婚する前にファンショーから手紙が届いていたんです。
えええ!?ファンショーは生きていたんですか!?
ええ。ってか、これまだこの小説の序盤ですからね。
ぷはー!もう話の終盤ぐらいだと思っていました!!
本が売れた事は予想外だったが嬉しいと思っている事、息子には親が必要である事、ソフィーの事をよろしく頼むなどなどが手紙に書かれていました。そしてファンショーが生きている事は絶対にソフィーに言わない事と自分の事は絶対に探さない事が念を押されていました。
うわー…。悩みますね。探すなって言われてもね。言うなって言われてもね。
「僕」は継続的に入ってくるお金、キレイな奥さんとかわいい子供まで手に入れました。しかしその手紙の内容の事もあり、仕事がスランプ状態に陥ってしまったのです。
ファンショーは存在していたのだと証明する為に、出版社に軽い気持ちで自伝的な物を出したら良いんじゃないっすか?と伝えると、それならば書くのは君しかいないね!と言われてしまう。
お。なるほど。それで不在のものを追いかけるいつものパターンになって行くんですね。
そんなこんなで、ファンショーの残した文章やメモをたよりに「僕」が遠ざかっていた頃のファンショーを知る旅が始まるのですが…。と、あらすじはここまでにしておきましょう。
今回は確かに、いつものパターンに入るまでに時間かけたというか、ワンクッションありましたね。
ラストの方も他の2つの作品とは違う展開なんですよ。
あら。今まではハッピーエンドでも無ければバッドエンドでもない、なんとなくふわっと主人公が消えて終わる感じのラストでしたよね?
ええ。今回の作品の特徴はまさにそこにあって、三部作のラストを飾るにふさわしいようなまとまりのある終わり方をしたなと個人的には思います。少しだけ希望を見いだせるようなハッピーエンドとも取れるような主人公の成長が読み取れるラストなんです。
ほほう。これまで読み続けてきた読者からすると、やっと地に足をつけて着地出来る場所を見つけたって感じでしょうかね。
今までのようなラストも好きですけどね。「僕」は文中にこんな事を書いています。
しかしその結末だけは僕にとってもはっきりしている。それは忘れていない。これは幸いなことだと思っている。なぜなら、この物語全体が結末において起こったことに収斂しているからだ。その結末がもしも僕の内側に残っていなかったら、僕はこの本を書きはじめることもできなかっただろう。この本の前に出た二冊の本についても同じことが言える。『ガラスの街』、『幽霊たち』、そしてこの本、三つの物語は究極的にはみな同じ物語なのだ。ただそれぞれが、僕が徐々に状況を把握していく過程におけるそれぞれの段階の産物なのだ。僕は自分が何か問題を解決したのだなどと主張するつもりはない。僕はただ、起きた出来事を振り返っても自分がもはや怯えなくなった瞬間が訪れた、ということを伝えようとしているだけなのだ。
p.182
引用:「鍵のかかった部屋」ポール・オースター著,柴田元幸翻訳(白水社)
これまた不思議な書き方をしますね。これ書いたのは「僕」って事ですよね?でも『ガラスの街』こと『シティ・オヴ・グラス』の主人公はクィンで、『幽霊たち』はブルーじゃなかったでしたっけ?
『シティ・オヴ・グラス』は途中で視点が別の作者に変わっていますし、『幽霊たち』は最初っから第三者目線で書かれた小説なので、どちらも「僕」が書いたという事が出来ちゃうんですよ。
さらにはソフィー・ファンショーが最初に雇った私立探偵の名前はクィンですし、ファンショーが使っていた偽名がヘンリー・ダークでした。
ぐはぁっ!どちらも『シティ・オヴ・グラス』に出てきた名前!
更には「僕」とソフィーの間に生まれた子供の名前はポールだし、途中で出会う男の名前はピーター・スティルマンです。
ま、そういう事でね、三部作はそれぞれ独立していてどれから読んでも楽しめるんですが、この作品に限って言えば最後に読んだ方が細かいところも含めて楽しめると思うんです。
Dr.スランプアラレちゃんを読んでからドラゴンボールを読んだ方が桃白白との戦いの所が楽しめるみたいなものですね!
ちょっと何言ってるかわからないです。
個人的にオススメなのは198〜200ページの所にある「僕」とベンの会話がほんわかして素敵でした。この部分だけでも読む価値ありです。知ってました?宇宙の定義って高度100kmなんですよ。
100km!?僕の住んでいる所からちょうど100kmの所に富士山あるんですよ。
それじゃあ晴れた日に富士山が見えるように、真上を見上げればすぐそこは宇宙なんですよ。
宇宙を語る時は何万光年とか平気で使われて天文学的数字が常識になってますよね。1光年は約9.5兆kmですけど、宇宙に触れたいだけなら100kmでいいんです。
見えているのに、同時に見ていないものってたくさんあるもんですねぇ…。
批評を終えて
以上!白痴モードニ移行シマス!コード「ケムール・ボボーク・ポルズンコフ!」
「見えているのに、同時に見ていないもの」…って、あれ?僕は一体何を…。
何をじゃないよ!仕事中に居眠りこいて!なぞなぞか?「見えているのに、同時に見ていないもの」ってなんだよ。
え?あれれ?読書エフスキー先生は?宇宙の話は?
誰だそれ。おいおい。寝ぼけ過ぎだぞ。罰として一人でここの案内やってもらうからな!
えーっ!?一人で!?で、出来ないですよ〜!!
寝てしまったお前の罪を呪いなさい。それじゃよろしく!おつかれ〜
ちょっ、ちょっと待って〜!!…あぁ。行ってしまった。どうしよう。どうかお客さんが来ませんように…。
…あのすいません、鍵のかかった部屋について聞きたいんですが。
(さ、早速お客さんだーっ!!ん?でも待てよ…)いらっしゃいませー!ポール・オースターの4番目の作品でございますね。おまかせくださいませ!
あとがき
いつもより少しだけ自信を持って『鍵のかかった部屋』の読書案内をしている書生。彼のポケットには「読書エフスキーより」と書かれたカセットテープが入っていたのでした。果たして文豪型レビューロボ読書エフスキー3世は本当にいたのか。そもそも未来のロボが、なぜカセットテープというレトロなものを…。名言や気に入った表現の引用
「一杯の茶を飲めれば、世界なんか破滅したって、それでいいのさ。by フョードル・ドストエフスキー」という事で、僕の心を震えさせた『鍵のかかった部屋』の言葉たちです。善悪は別として。
人生はわれわれのちからの及ばぬやり方でわれわれを引きまわし、ほとんどすべてのものがいずれはわれわれから離れてゆく。われわれが死ねばさまざまなものも一緒に死ぬ。そして死は毎日のようにわれわれの身に起こるのだ。
p.5
そしていまこうしてこの文章を書きながらも、僕はしみじみ思う。僕はあの最初の日、大地の奥に通じる穴に落ちたのだと。あの日僕は、それまで行ったこともない場所に向かって落下しはじめたのだ。
p.12
すべてがとてもドラマチックだった。と同時にすべてがグロテスクであり、いささか喜劇的でさえあった。
p.22
彼の中には秘密の核があることを人は感じた。決して到達することのできない、隠された神秘の核があることを。彼を真似ることは、ある意味でその神秘に参与することだった。だがそれはまた、彼を本当に知ることなど絶対にできないのだと思い知ることでもあった。
p.26
ファンショーがしたのは、慈善の行為というよりも、むしろ正義の行為だったのだ。だからこそデニスも、自分をおとしめることなくそれを受け入れることができたのである。無造作さと、確信との絶妙な組合せが、あたかも魔法のように、慈善を正義に変容させたのだ。
pp.28-29
何が起ころうとしているか彼女にはわかっていた。だがわかっているのだということを認めるだけの強さはなかった。
p.40
ある人がかつて、物語というものはそれを語りうる者の身にだけ起きる、と言ったことがある。おそらく同じように、体験というものは、それを体験しうる者の身にだけ起きるのかもしれない。
p.46
言葉というものを大切に思うこと。書かれたものに自分を賭けてみること。書物というものの力を信じること。そうしたことが他の要素を圧倒するのであり、それに較べれば、自分の人生などごくささいなものに思えてくるのだ。
p.50
虚構の一部になるのは誰だって嫌だ。ましてやその虚構が現実であればなおさらである。
p.53
慎重さはそれなりに役に立つものだが、度が過ぎてはことを台なしにしかねない。
p.68
暗闇だけが、世界に向かって自分の心を打ち明けたいという気持を人に抱かせる力を持つ。そして、あの頃起こったことを考えるとき、僕をいつも包みこむのは、まさに暗闇なのだ。暗闇について書くには勇気が要る。だがそれについて書くことこそ、暗闇から逃れうる唯一の可能性であることも僕は知っている。
p.74
十一時半になった。郵便の時間だ。僕はいつものようにエレベーターを降りて、自分の郵便箱を見に行った。僕にとってそれは毎日つねに、穏やかな気持で迎えるのは難しい、重大な意味を帯びた瞬間だった。何か良い知らせがボックスの底に横たわっているのではないか、そういう期待がつねに胸の内にあった。思いもよらぬ小切手、仕事の依頼、何らかのかたちで僕の人生を変える手紙……いまではもう、そういう期待の習慣がすっかり僕の一部になりきっていた。だから郵便箱を覗くときはいつも、思わず胸がときめいてしまうのだった。郵便箱は僕の隠れ家だった。世界でただ一つ、純粋に僕のものである場だった。だが同時にそこは僕を世界と結びつけてくれる場だった。郵便箱の魔法の暗闇の中には、物事を起こらせる力が宿っていた。
pp.76-77
考えるという言葉はそもそも、考えているということを自分が意識している場合にのみ用いられる。
p.87
われわれはみな物語を聞きたいと思っている。物語を聞くとき、われわれは幼かった頃の聞き方に戻る。言葉の内側にある真の物語を自分で思い描こうとするのだ。われわれは主人公の立場にわが身を置き、自分自身のことを理解できるのだから主人公のことだって理解できるはずだという思いを抱く。だがそれは欺瞞である。おそらくわれわれは自分自身のために存在しているのだろうし、ときには自分が誰なのか、一瞬垣間見えることさえある。だが結局のところ何ひとつ確信できはしない。人生が進んでゆくにつれて、われわれは自分自身にとってますます不透明になってゆく。自分という存在がいかに一貫性を欠いているか、ますます痛切に思い知るのだ。人と人とを隔てる壁を乗りこえ、他人の中に入っていける人間などいはしない。だがそれは単に、自分自身に到達できる人間などいないからなのだ。
p.96
どんなに低い可能性といえども決してゼロではないし、不運に限度を設けるべきいかなるルールも存在しない。それぞれの瞬間においてわれわれはつねに一からやり直しているのであり、前の瞬間とまったく同じ確率をもって不幸はわれわれを待ち受けているのだ。
p.103
僕は憑かれていた。生まれてはじめて、僕は自分の中に何の優しさも感じなかった。
p.131
物語は言葉の中にはない。苦闘の中にあるのだ。
p.183
愛着があったからだ。でも愛着があったからといって、いい本になるわけじゃない。赤ん坊は自分のウンコに愛着を持つ。でも他人から見ればただのウンコだ。それはまったく赤ん坊自身の問題だ
p.209
引用:『鍵のかかった部屋』ポール・オースター著, 柴田元幸翻訳(白水社)
鍵のかかった部屋を読みながら浮かんだ作品
おや?村上春樹の『羊をめぐる冒険』ですか。
村上春樹、初期三部作の第三作目『羊をめぐる冒険』を思い出しました。今回は特に村上春樹っぽいんすよねぇ〜。
レビューまとめ
ども。読書エフスキー3世の中の人、野口明人です。
ついにニューヨーク三部作が終わってしまいました。今回の『鍵のかかった部屋』はその最後にふさわしい内容だったと思います。
物語とは通常、主人公に何かが起き、その出来事について描かれていき、最後に元の場所に戻りつつも、主人公は最初の頃の主人公とは違う何かを手に入れているという描かれ方をするのがほとんどです。
しかし、『シティ・オヴ・グラス』や『幽霊たち』の主人公は、最初の場所に戻るどころか、行方知れずになってしまう結末を迎えていました。
主人公が消えてしまう。そうなると、一体この文章は誰が書いているんだ?っていう、出来の悪い怪談話のような事になりますが、上手いこと『シティ・オヴ・グラス』では途中で書き手が変わり、『幽霊たち』では最初っから第三者が描いているという手法をとりました。
そして今回の堂々たる「僕」という主人公の登場です。主人公と書き手が「僕」である以上、ラストで主人公が消えるという事は出来ません(…いや、『シティ・オヴ・グラス』のように途中で書き手が変わるという方法をとれば出来るかもしれませんが)。
今回の主人公に名前を与えずに「僕」という主観的な書き方をしたのか、それはきっとニューヨーク三部作に決着をつけたかったからだと野口は思います。
ネタバレに近い話になってしまうかもしれませんが、今回のラストでは主人公は失踪することなく、ちゃんと元の場所に戻るのです。
誰かを追いかけ、自分を見失っていくというニューヨーク三部作に共通していた設定を見事克服し、見失いながらも、見事打ち勝ち、自分を取り戻した生活に戻っていく。アイデンティティの確立。失っていかけていたアイデンティティを家族の元で見出すのです。
そういうハッピーエンドを迎える事ができるのです。やっと。やっとです。ふわふわっとした終わり方が、やっと地に足をつけることが出来るのです。長い旅でした。
考えてみれば、今までの主人公は孤独な環境の人が多かったですね。クィンは妻と子を亡くした設定でしたし、ブルーは付き合っていた彼女の浮気現場を見てしまうし。
ぶっちゃけ、この『鍵のかかった部屋』の主人公の行動を冷静に振り返ってみれば、結構なクソ野郎だとは思うんですけどね。親友の奥さんを奪ったぐらいなら許せるんっすけど、親友のお母さんまでも…ってね。でも、いいんです。一人ぼっちでなければ。戻る場所がある事が大切なのです。
一度離婚を体験して、作家であるシリ・ハストヴェットと再婚した事をまじまじと感謝しているポール・オースターだからこそ書けたラストだなぁ〜なんてしみじみ思いました。なんかこの人、本当に奥さんと子供の事大好きなんだろうなぁ〜ってひしひし伝わってくる文章書くんですよね。
それにしても、このニューヨーク三部作では、ムーン・パレスとは一味違うポール・オースターの書き方にどっぷりハマってしまっていて、これからどうなるんだ!?主人公はどうやって精神崩壊していくんだ!?と、楽しくページめくりしていました。
本当にすごいっすよねぇ。ほとんど外枠の設定は一緒なんですけどねぇ。何かを追いかけ、追いかけているつもりが追い詰められ、自分を失っていく。それは一緒なのに、全部面白いんすよね。
ファンタジー色の強かった『シティ・オヴ・グラス』。独特な文体だった『幽霊たち』。そして純文学に近づいていった『鍵のかかった部屋』。
『鍵のかかった部屋』が優れている点は、他の2つに比べて、外の世界に広がっていった事。外に広がれば広がるほど、内側に内側に進んでいく。そのコントラストをくっきりと描けたことにあると思います。
タイトルの『鍵のかかった部屋』というものにはちょっと矛盾しているような感想かもしれませんけどね、外に出ようとすればするほど、内側に閉じ込められている事に気がつくみたいな感じでしょうかね。
書くことで自分を見失っていくファンショーと読むことで自分を見失っていく「僕」。重なり合っていく二人。
娯楽としての小説というよりも、自分と他者というテーマを突き詰めていった結果、芸術的にも見えてくる作品。
…うーむ。自分でも何言っているのかわからなくなってきた。
とにかくなんというか、ミステリー小説としての楽しさよりも、The・小説。うおお!小説読んだなぁー!という感想を抱く作品でした。村上春樹の初期の頃とか安部公房が好きな人はハマると思う。
大衆文学のように、見事!伏線回収すごいな!みたいな楽しさよりも、なんかどんどん深みにハマっていく。そんな本を求めている人に読んで欲しい作品です。
ということで、そろそろ似たような事しか言えなくなって来ましたので、このへんでレビューを終わろうと思います。ポール・オースターを有名にしたニューヨーク三部作、完結。
次は一体どんな作品を読ませてくれるのか。次回作の『最後の物たちの国で』は僕がポール・オースターにハマるきっかけになった『ムーン・パレス』と、今回のニューヨーク三部作の間にある作品なので、ワクワクしております。
ではでは、そんな感じで、『鍵のかかった部屋』でした。
ここまでページを閉じずに読んで頂いて本当にありがとうございます!
最後にこの本の点数は…
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鍵のかかった部屋 - 感想・書評
著者:ポール・オースター
翻訳:柴田元幸
出版:白水社
ページ数:232
鍵のかかった部屋¥ 1320
- 読みやすさ - 90%
- 為になる - 81%
- 何度も読みたい - 87%
- 面白さ - 89%
- 心揺さぶる - 89%
87%
読書感想文
ニューヨーク三部作はどれから読んでも良いのだけれど、出来れば『鍵のかかった部屋』だけは最後に読んだほうが十二分に楽しめると思います。まとめ的な感じなので。逆にこれを先に読んでいたらここまで評価は高くなかったかもしれない…。