三月は深き紅の淵を_恩田陸

『三月は深き紅の淵を』を読めば一冊は読みたい本が見つかる

三月は深き紅の淵を - 書籍情報
  • 著者:恩田陸
  • 出版社:講談社
  • 作品刊行日:1997/07/07
  • 出版年月日:2001/07/13
  • ページ数:474
  • ISBN-10:4102325018

BOOK REVIEWS

三月は深き紅の淵をという小説。手にとって最初に思ったのは、今までの恩田陸の小説のタイトルの付け方の中で一番アクロバティックだな、と。文字でタイトルをじっと見つめ、目を閉じて口に出して言ってみる。

するとどうにも「サンガツハフカキクレナイノフチヲ」というフレーズが思い出せない。「三月は」と「紅」という言葉は印象に残るのだけれど、どうにも連続して『三月は深き紅の淵を』というフレーズになってくれないのです。

『六番目の小夜子』『球形の季節』『不安な童話』の名詞で終わる作品とはタイトルの付け方が変わったように、この小説はどうやらその中身も今までの恩田陸の書き方とはガラリと変えた書き方をしているようです。というのもこの小説の発表年が1997年。それまで不動産会社で働きながら小説家を続けていた恩田陸が、小説家一本で生活し始めたのも1997年なのです。

ここから恩田陸の恩田陸らしさがドバーッと凝縮して作品になっていくのかとワクワクして読み進めていったのですが、すべてを読み終えた時、僕はこの小説をどのようにレビューしていけばいいのか、頭を悩ませてしまいました。今までで一番、“恩田陸”が顔を出している作品だと思うのですが。

これからこの小説を読もうとしているあなたに、この小説をどうやって説明すればいいのか。どうすれば。一体…。三月は深き紅の淵を…。紅の淵をどうしたんだろう。淵がどうなるんだろう。モヤモヤは止まらない…。

ただひとつだけ言えるのは、きっとこの本を読み終えたあなたは、『三月は深き紅の淵を』という架空の小説が読みたくなっているのは間違いないはず…。

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小説『三月は深き紅の淵を』 – 恩田陸・あらすじ

三月は深き紅の淵を
3.1

著者:恩田陸
出版:講談社
ページ数:474

『三月は深き紅の淵を』という同名の本を4つの話で展開する作品。4つの作品が繋がっているのかと思いきや独立した4つ。しかしどこかで繋がっている。第4章を読み終えた頃には、不思議な世界観に飲み込まれるミステリー。

読書エフスキー3世 -三月は深き紅の淵を篇-

文豪型レビューロボ読書エフスキー3世-三月は深き紅の淵を
前回までの読書エフスキーは

あらすじ
書生は困っていた。「図書館王にオレはなる!!」と仕事中に寝言を言ったせいで、独り、無料読書案内所の管理を任されてしまったのだ。すべての本を読むには彼の人生はあまりに短すぎた。『三月は深き紅の淵を』のおすすめや解説をお願いされ、あたふたする書生。そんな彼の元に22世紀からやってきたという文豪型レビューロボ・読書エフスキー3世が現れたのだが…

三月は深き紅の淵を -内容紹介-

無料読書案内の書生
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大変です!先生!恩田陸の『三月は深き紅の淵を』の事を聞かれてしまいました!『三月は深き紅の淵を』とは一言で表すとどのような本なのでしょうか?
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
“1冊の本をめぐる4章節の小説”デスナ。
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…と、言いますと?正直な所『三月は深き紅の淵を』は面白い本なのでしょうか?

教えられた家は、坂の上にあった。

引用:『三月は深き紅の淵を』恩田陸著(講談社)

読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
コンナ一文カラ始マル“恩田陸”ノ1997年の長編小説デス。読メバワカリマス。
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えーっと、それでは困るのです。読もうかどうか迷っているみたいですので。ちょっとだけでも先生なりのご意見を聞かせていただきたいのですが。
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
読む前にレビューを読むと変な先入観が生マレテシマイマスノデ…
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ええい、それは百も承知の上!先生、失礼!(ポチッと)
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
ゴゴゴゴゴ…悪霊モードニ切リ替ワリマス!
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うぉおおお!先生の読書記録が頭に入ってくるぅぅー!!
三月は深き紅の淵を_批評

三月は深き紅の淵を -解説-

読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
『三月は深き紅の淵を』の批評に入る前に、少々質問をさせてください。これから読書をしようと考えた時に、まずは何を考えて作品を選びますか?
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書生
うーむ。まずは自分の好きなジャンルかどうか…?ですかね。やっぱり読書って趣味趣向がありますから。
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
そうですね。まずは自分の好きなジャンルであるかどうかは重要です。ミステリーを読みたい!と思った時に恋愛小説やノンフィクション小説から探し出したりはしません。まぁ、恋愛ミステリーなんてのもありますが。
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書生
やっぱりミステリーを読もうと思ったらミステリー小説にジャンル分けされている作品の中から探し出しますよね。
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
ではジャンルを決めたら次はどうしますか?
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書生
そのジャンルの中で面白いとされる本を探しますね。
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
それはどうやって探しますか?
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書生
僕の場合は、本屋さんに行ってその書店のランキングの棚を見に行ったり、本についている帯を読んでみたり、あとはネットで「ミステリー、おすすめ」なんて感じで検索して、出てきた作品のAmazonレビューを読む感じですかね。
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
確かに話題に上がる作品というのは、それだけの要素があるはずだし、多くの人が良いとされている作品を選んだ方が自分も面白いと感じる確率は高いかもしれませんね。
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書生
それで言うと今回の『三月は深き紅の淵を』は多くの人がレビューをしてますよね。デビュー作より少ないにしても、前作、前々作よりも沢山のレビューはついています。
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
…だが、今回の作品に関してはなかなか辛口なレビューも多くありませんか?/div>
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書生
それは、やはり多くの人がレビューすれば、それだけ色々な意見が出るという事ではないのでしょうか?先程も言いましたが読書って趣味趣向がありますし。ラーメンみたいなもんで、一人が美味しいと言っても他の人にとっては好みの味じゃないってのもあるじゃないですか。
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
では、色々と調べて本を決めたとして、そうやって選んだ本に辛口のレビューをしたくなる時はどういう時です?
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書生
うーん。そーですね…。辛口レビューをつけたくなる時ですか…。うーん。…思っていたのと違う!とかですかね。
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
“思っていたの”というのは?
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書生
たとえば本屋さんでオススメの棚に置いてあった本だとしたら、僕はとりあえず帯を読んだり、裏表紙に書かれている短いあらすじを読んでみて、ある程度、その本の内容を予想するわけですよ。それがまぁ、“思っていたの”になるわけですが。
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
確かにAmazonというネットの本屋にしても、どの作品にもあらすじのようなものは確実に載っていますね。
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書生
もちろん、それを読まずに読む楽しみというのもあると思います。たとえば今回は恩田陸の作品を発表順に読んでいくという感じなわけですし。
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
それで言うと今回は“思っていたの”がないという事になるわけでしょうか?
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書生
はい。そういうことになります。…いや、どうでしょう?なんとなくイメージは出来ているような気もします。なんででしょう?
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
実は…、というほどでもないとは思いますが、本というのはそれ自体に沢山の情報があります。表紙から感じ取るイメージだったり、タイトルだったり、本の厚みだったり、作者もそうです。あらすじ以外からも勝手に頭の中に“思っていたの”を創り上げているのではないでしょうか。
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書生
あ、たしかにそうですね。
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
そういうファーストインプレッション、第一印象のようなものが頭の中で作られて、その印象と同じ方法に進んでいったもの、または同じ方向で自分の印象を遥かに超えていったものを人は面白いと感じ、逆の方向に進んだもの、または自分の想像を超えていかなかったものを人はつまらないと思ったり、退屈だと感じるわけですね。
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書生
あー、人間のストレスの感じ方と同じ感じなんですね。思ったとおりならストレスは生じないし、思っていなかった事が起きると葛藤が生まれてそれがストレスになると。
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
そこで、まずこの本の裏表紙に書かれている内容紹介を引用してみることにしましょう。そこにこの作品を読んだ後に感じる違和感というものがあると思うのです。

鮫島巧一は趣味が読書という理由で、会社の会長の別宅に二泊三日の招待を受けた。彼を待ち受けていた好事家たちから聞かされたのは、その屋敷内にあるはずだが、十年以上探しても見つからない稀覯本『三月は深き紅の淵を』の話。たった一人にたった一晩だけ貸すことが許された本をめぐる珠玉のミステリー。

読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
これを読んで君はどんな事を考えますか?
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書生
うーん。どんな事ですか…。とりあえず鮫島巧一が主人公で、ミステリーで、本を巡る物語で…。
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
つまり?
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書生
え!?つまり?…今のでもだいぶまとめた気はするんですが…。
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
この小説は?
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書生
誘導尋問みたいになってますよ!この小説は…うーん。うーん。なんだ。この小説は恩田陸のミステリー長編。…もうこれ以上まとめられませんよ。
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
ふふふ。ひっかかりましたね。やっぱり君も。
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書生
え?ひっかけ問題だったんですか?どこらへんがひっかけなんですか。
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
君、今、ミステリー長編って言いましたよね。
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書生
え?あ、はい。だってこの作品ミステリーなんですよね?それに商品紹介の部分に448ページって書いてありますし、充分長編小説になるでしょう。
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
そう。この『三月は深き紅の淵を』という文庫本を手に取った人はまず文庫本から読み取れる情報から自然と長編小説だと思ってしまう。あらすじなどを読んだとしたらなおさら長編小説だと思い込むでしょう。
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書生
はい。僕はそうだと思いました。
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
しかし、読んでみればわかるように、これは4章の構成にはなっていますが、実質は同じ本を登場させた全く別の話4編を収録した短編集と言った方がいい作品なのです。鮫島巧一は主人公ではないのです。
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書生
えー!?
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
彼は一遍のうちの一登場人物に過ぎません。2章以降全く出てこない。独立した4編ですから。
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書生
あ!劇場版クレヨンしんちゃんみたいなもんですか?
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
え?ナニソレ?
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書生
ほら、例えば、テレビだと二本とか三本立てだけど、話が独立しているじゃないですか。でも劇場版だと『ブリブリ王国の秘宝』ってな感じで一本の話でまとまっているじゃないですか。もし映画館でぶりぶりざえもんが出て来る回のテレビ版を3本編集しただけだと、あれ?なんか違うってなりますよね。
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
!?すいません。たとえが下手過ぎてピンと来ません。
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書生
いや、だから、長編小説は劇場版で短編小説はテレビ版のクレヨンしんちゃんってな感じであって欲しいわけですよ。でもこの小説は映画館に行ったのにテレビでやってるやつ観せられたような違和感って感じですかね。
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
んー…。ま、それでいっか!
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書生
えー。なんかなげやりですね。ま、それぞれが面白かったらそれはそれでいいですけどね。違和感ってだけです。面白いもんは面白い。
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
まー、つまり。辛口レビューが混じっているのは、つまりはそういうことなんじゃないでしょうか。全部が繋がっていると思っていたのに、最後まで読んでみるとそうではなかった。そこが納得いかん的な。
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書生
なるほどなー。
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
さらにやっかいなのは、この作品、繋がっていなかったように思えるのに、繋がっている気もするのです。
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書生
やっかい!!
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
それがこの小説の面白い所だと思います。まぁ、文庫本の末に載っていた解説にもありましたが、この作品は解説が難しい。解説することでこれから読む人の面白さを半減させてしまうような気がしてあまり深くは紹介出来ないのです。
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書生
それじゃあ内容にあまり触れない感じで、この小説と今までの作品の違いってなんですかね?
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
そーですね…うーん。この小説は“恩田陸”という作家が他の作品に比べて色濃く出ている所でしょうか。登場人物に作者の意見を言わせるってのが普通ですが、それがいつもより多かったのと、恩田陸が実際にエッセイとして書いているのでは?と思わせる部分もちらほら見えます。
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書生
ふむふむ。エッセイを織り込む小説と。
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
第4章にそれが良く現れましたが、その第4章でもやっぱり意見わかれているみたいです。第4章だけすごく異質な書き方しているというか。
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書生
そーですね。レビューを読むと4章について触れている人が多いですね。
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
形的には確かにこの『三月は深き紅の淵を』のキーである「三月は深き紅の淵を」という本を書いている作者(フィクション)が書いている事になっているんですが、それは恩田陸という事なのか?それとも恩田陸が作り出した小説家が書いているのか?っていうフィクションとノンフィクションがごっちゃになって読み取れる不思議な感覚になります。
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書生
箱の中の箱みたいな書き方をしますよね。
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
というと?
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書生
なんていうか、あれです。僕がテレビを見ているとするじゃないですか。それでテレビの中の登場人物もテレビを見ている。するとそのテレビ画面がアップになってきて、僕が見ているテレビに、登場人物が見ているテレビの一面を表示させられる感じですかね。
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
さっきから何かに例えるの好きですね。
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書生
徐々に、登場人物が見ているテレビと自分が見ているテレビの境界線が怪しくなってきて、どっちを見ているかわからなくなってくる…みたいな。
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
ふむ。
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書生
さらにその中でテレビのチャンネルなんか変えたりしたら、いよいよ自分の見ているものが何かわからなくなってきますね。
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
ま、テレビで説明するより、小説の中の小説で説明した方がわかりやすかったと思いますが。小説の中で小説家がいて、その小説家が書いた小説が作中に出てきて、さらにはそれとは別の話を織り込むような。
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書生
あ。はい。つまりはそれが箱の中の箱ってことです。
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
まぁ、その箱の効果もあると思いますが、登場人物が結構ガッツリとした意見を言うんですよね。一般論でどっち付かずな意見というより、振り切った極端な意見を。
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書生
“それは私が言っているんじゃないんですよ。あくまでも登場人物が言っているんですよ”って言えるからじゃないですかね。
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
「登場人物はお前が作っているんだろ!」って言われても、「いやいや、登場人物が作った登場人物が言ってることですから、それはもはや私の手元から離れた意見ですよ」ってな感じで言えますもんね。
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書生
さすが箱マジック!!
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
あとはですね、多読で有名な恩田陸が、これでもか!これでもか!!ってぐらい小説や映画の作品名・登場人物を散りばめているのも今回の作品の特徴です。
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書生
どんな作品が出てくるんですか?
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書生
その作品群を出来る限りリストアップしてみましょう。
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書生
うわ!!出てきた作品に全部触れようとすると3〜4年はかかりそうですね。オリンピック開催されちゃいますよ。
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
…とまぁ、見落としている物もあるかもしれませんが、これだけの数の作品がちらほらと顔を出しています。さらには作品だけではなく、実在するお菓子、亀田製菓の『ソフトサラダ』や、マッキントッシュの『キットカット』、無印良品の『黒棒』、金吾堂『厚焼・ごま味』、ギンビスの『アスパラガス』、ロッテの『霧の浮舟』…etc。
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書生
マッキントッシュのキットカット…懐かしい。今じゃネスレですもんね。
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
もうリストとして挙げるのが嫌になるぐらい沢山出てくる。木を隠すなら森の中。森の中なら木ぐらいあるだろうと、第一章の鮫島くんが言っている通り、これだけ実在する作品や商品の名前を出せば『三月は深き紅の淵を』という本も存在するのではないか?という気持ちにさせてくれますね。
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書生
伝説の『三月は深き紅の淵を』を求めて、図書館王にオレはなる!!
読書エフスキー3世
読書エフスキー3世
突然どうしちゃったんですか…。とりあえず、この作品が面白い面白くないは別として、この作品を読んだ誰もが『三月は深き紅の淵を』という幻の本を読んでみたくなるのは間違いないはずです。

批評を終えて

読書エフスキー
読書エフスキー
以上!白痴モードニ移行シマス!コード「バフチン・ボボーク・ポルズンコフ!」
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「図書館王にオレはなる!!」…って、あれ?僕は一体何を…。
職場の同僚
職場の同僚
何をじゃないよ!仕事中に居眠りこいて!てか「図書館王」って何だよ。
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え?あれれ?読書エフスキー先生は?
上司
上司
誰だそれ。おいおい。寝ぼけ過ぎだぞ。罰として一人でここの案内やってもらうからな!
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えーっ!?一人で!?で、出来ないですよ〜!!
上司
上司
寝てしまったお前の罪を呪いなさい。それじゃよろしく!おつかれ〜
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ちょっ、ちょっと待って〜!!…あぁ。行ってしまった。どうしよう。どうかお客さんが来ませんように…。
お客さん
お客さん
…あのすいません、三月は深き紅の淵をについて聞きたいんですが。
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(さ、早速お客さんだーっ!!ん?でも待てよ…)いらっしゃいませー!恩田陸の作品でございますね。おまかせくださいませ!
ブックレビューテープ
 あとがき


いつもより少しだけ自信を持って『三月は深き紅の淵を』の読書案内をしている書生。彼のポケットには「読書エフスキーより」と書かれたカセットテープが入っていたのでした。果たして文豪型レビューロボ読書エフスキー3世は本当にいたのか。そもそも未来のロボが、なぜカセットテープというレトロなものを…。
読書エフスキー
読書エフスキー
ウィンク。パチンパチン。
三月は深き紅の淵をレビューお終い

名言や気に入った表現の引用

三月は深き紅の淵をの名言
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書生
「一杯の茶を飲めれば、世界なんか破滅したって、それでいいのさ。by フョードル・ドストエフスキー」という事で、僕の心を震えさせた『三月は深き紅の淵を』の言葉たちです。善悪は別として。

参加してくれたまえ、か。くれたまえ、なんて言葉しゃべる奴がいるんだな、と巧一は新鮮な驚きを感じた。ひょっとして、こいつはTVの企業ドラマにかぶれているんではなかろうか。山崎努が出てくる、社命と自分の倫理観の板挟みになる男のドラマ。

会長曰く、人間には二種類ある。本を読む人間と読まない人間

自分が何も知らないことを知っている人間は少ないからね。いい心掛けだよ。

人生は賭けである。これは本当だ、年だけは食ってきた我々が言うんだから間違いはないね。多少の差はあれ、それなりのリスクをくぐってきたんだから。人間は一瞬一瞬を賭けながら生きている。瞬間瞬間を選びとっているのだと言い換えてもよい。

普通の小説。謎めいた四部作の小説なんだ。推理小説と言えないこともない。ただ、なんというか奇妙な印象を受ける小説でね。種類の違う素材のかけらをモザイクにしたような小説。びしっと隙がなくて文句なしの傑作、っていうのじゃないんだ。なんだこれは、と読んでいるうちにずるずると引きずり込まれて、しばらくたっても小説のかけらが頭のどこかに残っているような小説なんだ

『ぴあ』が出てきたあたりから一気に文化の画一化が進んだわよ。あらゆる情報が提供されるようになって、手軽にいろんなものを見られるようになったのは確かだけど。昔はほんとに好きなものを求めていくことによって情報は得られたのに、今はアングラというものがなくなってしまった。みんな普通の好奇心だけの人が土足でやってきて、なんでも大衆消費のレベルにひきずり降ろしてしまっては、ひきずり降ろしたまんまですぐにさようなら。日本人の『民主主義』の一番履き違えてるところよ。昔は分相応って言葉があったけど、今や『俺たちは平等だ。そんないいものがあるんなら俺にも見せろ、俺にも食わせろ、俺にも買わせろ』でしょ。理解できる目も舌も背景もないくせにさ。みっともないったらありゃしない

美味いもん食って初めてこういう美味いもんがあるんだってことが分かるんであってさ。そういう、求めよさらば開かれんみたいなことやってたから伝統芸能が滅びつつあるわけでしょ?だから、とりあえず機会はいろいろ与えられた方が健全なんじゃない?何にせよ物事を究めるってことは大変だから、機会はあってもどうでもいい奴はとっとと自然淘汰されちゃうし。

あたしは昭和三十年代以降に生まれた女の書く『ぼくは』で始まる一人称の小説が大っ嫌いなのよ。ほとんど憎んでいるといっても過言じゃないわね。みんな同じタイプの主人公でさ。『ちぇっ、だから女の子ってやつはわからないんだ』なんて文があったりするの。時々まちがって読んじゃったりするんだけどね。あわわ、また『ぼくは』かって。くわばらくわばらって感じよ

凝った造りで、おのおの異なったいわくのある四つの家が建てられている。ただその事実だけで、楽しめるでしょう。我々はそこから派生する、この先語られるべき物語を予感することができるんです。我々は合理的な解決や、あっと驚くトリックを待っているわけじゃない。そりゃ、そういったものがあるにこしたことはないけどね。でも、それより大事なのは、わくわくするような謎が横たわり、それに呼応する大きな答を予感させる物語が現れることなんです。

熱いご飯を口に運びながら、巧一はふつふつとした衝動が胸に湧いてくるのを感じた。読んでみたい、その本を。時間を忘れて、むさぼるように本を読む幸福。そういう喜びを知ってはいるけれど、最近ではなかなか体験できない。読書経験を積めば積むほど、本に対してすれてくるし、感動も鈍ってくる。しかし、目の前にいる、明らかに自分よりも読書家らしい人々がそこまで夢中になれる、読み出したらやめられない本というのは、どういう本なのだろうか?

夜、暖かい家の中で、これから面白い話を聞くのを待っている。恐らく、大昔から世界中で、なされてきた行為。やはり、人間というのはフィクションを必要とする動物なんだな。まさに、その一点だけが人間と他の獣を隔てるものなのかもしれない。

面白い本が読まれる、注目されるというのは幻想ですよ。私たちがめちゃくちゃ面白いと思っている本だって、みんなに読まれるとは限らない。面白いのに埋もれている本はいくらでもある。ある作品がスタンダードになるかどうかというのは運不運もあるし、タイミングというのもある。私が天国まで持って行きたい、私の後に生まれる人間にどうしても読ませたいという作品が後世に残るわけじゃない。

我々は自分がちょっとばかし本を読んでいると自惚れているかもしれないが、これだってとんでもない幻想です。人間が一生に読める本は微々たるものだし、そのことは本屋に行けばよーく判るでしょう。私はこんなに読めない本があるのか、といつも本屋に行く度に絶望する。

作品を読むという次元で見れば、作者の性別なんて関係ないはずなのに、やっぱり本を読む時、どこかで作者の性を気にしている。意識されていないようでいて、実は作者の性別というのは重大な問題なのよね

ふと思い付いて部屋の中を見渡すと、白熊のようなその犬はキッチンの隅で長々と寝そべって、目を閉じている。人間どもが目の色を変えて論じる昔の本の話なぞ聞き飽きた、とでも言うように。

その昔は、人間がマクロな視点というものを獲得するにはそれなりの努力というものが必要でした。命を懸けて大航海をするか、宗教や、哲学といったものから学んでいくしかなかった。しかし、現在はいとも簡単にマクロな視点が手に入る。航空地図でも、青い地球の写真でも。みんなが神の視点を手に入れたわけです。そのことによって広い世界を獲得した人がいるかもしれないが、実際にはそれほどみんな幸せにはならなかった。自分の存在の卑小さだけが身に迫り、他人との差別化に血道を上げることになる。ゆえに、他人の人生がジェットコースターのように展開され、自分の掌に収まるフィクションが好まれるということになる。

全く、ダイイング・メッセージと言ったら一度きりに決まってるのに、何が『一度やってみたかった』だ。本当に根性の悪い奴だ

よそからさらってきた子供の肉を食べていた女に、代わりにこれを食えと言って柘榴を差し出す釈迦というものに、巧一はどこか割り切れないものを感じ、つかみどころのない恐怖を感じた。そういう女が子供を守る神様になってしまうところにも、信仰というものの不思議さを覚えた。

誰にも開けられない瓶の蓋が、自分ならば開けられるかもしれないと誰でも一度は考えるものである。

日本の社会自体、本読む人間には冷たいんですよ。本読むのって孤独な行為だし、時間もかかるでしょ。日本の社会は忙しいし、つきあいもあるし、まともに仕事してるサラリーマンがゆっくり本読む時間なんてほとんどないじゃないですか。本なんか読ませたくないんだな、って気がする。例えば僕が上司に、飲み会を断るとしますよね。『今日は早く帰って、こないだ並んで買ったTVゲームやりたいんです』って断る。上司は苦笑するでしょうけど、『しょうがない奴だな。あいつオタクなんですよ』で済ますでしょう。でも、『今日は早く帰って本読みたいんです』って断ったとしたらどうです?上司の心中はきっと穏やかじゃないだろうし、きっと僕に対して反感を持つでしょうね。みんなTVゲームは画一的で、本人の思考が入る余地がないこと知ってるから安心できる。でも、本読む奴というのは、みんなと違うこと考えてる、一人で違うことやってる人間だと見なされる。上司から見れば、『あいつ、俺の知らないところで俺に黙って何考えてるんだろう』って風になるんでしょうね。

日本人て、人間関係をわずらわしがるくせに、孤独にはものすごく弱いじゃないですか。

今、みんなに本を読ませるためには本を禁止するのが一番なんじゃない?

朱音はもともと好き嫌いのはっきりした編集者だが、嫌いな作家を挙げている時が一番生き生きしているように見える。悪口を言わせると天下一品という人間がたまにいるが、朱音はどうやらその人種であるらしい。

電車の中や飛行機の中で、移動中に原稿を書く作家は少なくない。たくさんの人々が同じ場所で、同時進行で勝手なことをしている。その大勢の中の一人である、という気安さが、原稿を書くことも大したことではないという錯覚を起こさせるのだろう。人にもよるが、『自分は今から自分の小説を書き始める』というプレッシャーにはすさまじいものがあるらしい。

名作や傑作って、インパクトはあるし感激するけど、意外にすこんと抜ける。うまく出来てる小説ってそうです。長く心のどこかにひっかかってる小説って、そういう小説じゃない。印象に残る作品っていうのは、どこか稚拙で完成度が低いけど、アクの強いオリジナリティのあるものの方でしょう。

いいものを読むことは書くことよ。うんといい小説を読むとね、行間の奥の方に、自分がいつか書くはずのもう一つの小説が見えるような気がすることってない?それが見えると、あたし、ああ、あたしも読みながら書いてるんだなあって思う。逆に、そういう小説が透けて見える小説が、あたしにとってはいい小説なのよね

今でも人間が小説を書いてることが信じられない時があるもんね。どこかに小説のなる木かなんかがあって、みんなそこからむしりとってきてるんじゃないかって思うよ。

鏡の中に人の姿が見えたら、相手からも必ず自分の姿が見えているのだ。 何かの一節だ。アガサ・クリスティーだっただろうか?最初にこのフレーズを読んだ時、理由は分からないが背筋が寒くなったのを覚えている。

今、アガサ・クリスティーが生きていたら、何を書いていただろう、とふと思った。あまりにもメジャーで、文章が平易過ぎると最近あまり話題にもならないが、隆子は、彼女にゴシック・ホラーを書かせたらすごいのではないかと思っていた。テクニックといいイメージ喚起力といい、現代のいわゆるホラー作家はすさまじい力量を持っているが、正直なところ、隆子が今まで本当に恐怖を覚えた小説は、アガサ・クリスティーの「終りなき夜に生れつく」や「スリーピング・マーダー」なのだった。当代の男性作家ならば、技巧を尽くし緻密な計算をした上で読者を追い込むように細部を書き込み、力業でねじふせようとするだろう。クリスティーの恐怖はそうではない。だいたい、クリスティーという人は心理描写も風景描写もほとんどしない人だ。「女性的な感覚」を売りにする訳でもないし、センテンスも短く簡単。なのに、心の底からぞっとさせる。

推理小説というのはその性質上、必ず読者の理解と意識をどこかで仮想しながら書かなければならない。そういう制約があるからこそ面白いんだけどね。推理小説ほど第三者の目を気にしながら書く、『外に向いた』小説はないわけよ。

こぢんまりとした駅だった。もっと古めかしい駅を想像していたのに、意外と飾り気のない、近所のおばさんのような実用的な駅だった。

人間が住んでいないと、こんなにあっというまにぼろぼろになっちゃうのね。人間の営みなんて、はかないものね。なんだっけ、どっかの考古学者が言ってたんだけど、人類の歴史は掃除の歴史なんだって。ちょっとでもサボると、文明なんてすぐに埃に埋もれてしまう。埃でなくたって、植物がどんどん繁殖して、たちまちジャングルに飲み込まれてしまう。雨や風だって、容赦なく文明を削り取っていく。密閉されたマンションだって、一週間掃除しないだけで、埃だらけになっちゃうものね。十年、百年と放っておけば、銀座だって砂と土に覆い尽くされるのよ。人類はひたすら必死に掃除をして生き延びてきたんですって。実感するわね、こういうの見ると

美佐緒は、時々こういう自嘲をすることがあった。その瞬間だけ彼女はずぶりと沈む。慣れないうちは、それにつられて一緒に沈みそうになったものだが、詠子は取り合わずに軽く扱うコツを覚えた。美佐緒の自嘲に気付かなかったふりをして、浮かんだままでいるのである。すると、美佐緒はすぐに自力でふわりとこちらに戻ってくる。

みんな、隠してるつもりでもバレてるのよね

小説のタイトルは難しい。一説には、小説が六割、タイトルが四割で小説全体を決定するとも言われている。

小説のタイトルには、使えそうで使えないものがある。短編では使えても、長編では今更使えない、といったものもある。今更使えないタイトル、というのでいつも真っ先に思い出すのは「旅路の果て」というタイトルだ。映画の邦題や欧米の短編小説でさんざんお目にかかったものだが、実に陳腐でそれでいて代わりが思い付かない、つけいる隙のないタイトルである。

彼女は飛行機に乗ったことがない。飛行機というのは、人間の叡智と神の領域との狭間にあるのではないだろうか。なんとなく、人間の領域を一歩はみだしているところがあるような気がして、乗るのが恐ろしいのだ。

一般的に仕事に熱中している女性は美しいが、小説を書いている女はブスだと思う。雑誌の締切り前の夜中に鏡で自分の顔を見るといつもギョッとする。

子供に話をしてやるというのは、なかなかいい手段だ。敵の注意をそらさずに引っ張り続けるには、相当面白いストーリーであることを要求されるだろう。児童文学は、子供を産んだ時の修行にとっておこう。

なぜ人間は「よくできた話」に感銘を受けるのだろう。話の内容に感動するのは分かる。親子の情愛、生と死の葛藤、無償の愛。自分を主人公に置き換えて感情移入をする。それは分かる。しかし、「よくできた話」に対する感動はこれとは少し違うように思えるのだ。その感動は、収まるべきところに全てが収まったという快感である。なぜ快感なのだろう。そして、「よくできた話」を聞き終わると、その話をずっと昔から知っていたような錯覚を覚えるのはなぜだろう。 恐らく、人類には何種類もの物語がインプットされているのだろう。インプットされた物語と一致すると、ビンゴ(!)状態となる。なぜ?フィクションを求めるのは、人間の第四の欲望かもしれない。なんのために?たぶん、想像力という他の動物にはない才能のためだろう。フィクションを求めることで、我々は他の動物たちと袂を分かったのだ。

彼女は唖然としている。 たどりつくまでのロケーションの神話的な雰囲気に比べ、出雲大社の中は驚くほど現実的な場所だった。まるで、東京のオフィス街を歩いているかのようなリアリティである。 しかし、よく考えれば当然のことだ。これだけの神話的空間を維持していくためには、相当な経営手腕を必要とされる。集金能力、統率能力、管理能力、権力に駆け引き。そこに信仰というものが加わったとしても、人手と金がかかることに変わりはあるまい。それは現代企業そのものだ。

私は子供の頃からメリー・ゴー・ラウンドが嫌いだった。子供心にも、はりぼての馬に乗ってくるくる同じところを回っているだけという行為がひどく屈辱的に思えたのである。いったい何が面白いというのだろう?何が楽しいというのだろう?あれに乗って、円の外で待っている家族を見る時の孤独。あの孤独はなんだったのだろう。家族は慈愛に満ちた瞳で遠くから私を見守っている。おまえは一人なんだよ、と。おまえを愛しているけれど、おまえは一人なんだよ、と。回転木馬に一人きりで乗っている子供たちは痛いほど孤独なのに、なぜみんな微笑んでいるのだろう。子供たちは、自分が家族に向かって微笑んでみせなければいけないことを本能的に知っている。自分が孤独に気付き始め、それがこれからの長い人生の伴侶であると気付いたことをみんなに示すために。

読書エフスキー3世
読書エフスキー
引用:『三月は深き紅の淵を』恩田陸著(講談社)

三月は深き紅の淵をを読みながら浮かんだ作品

隣の家の少女
3.7

著者:ジャック・ケッチャム
翻訳:金子浩
出版:扶桑社
ページ数:434

読書エフスキー3世
読書エフスキー
ジャック・ケッチャムの『隣の家の少女』ですか。残酷なものを選びましたね。
無料読書案内の書生
書生
女の子がフルボッコされる話ですが、読書歴が浅すぎて関連度の薄い本が浮かんできてしまいました。

レビューまとめ

三月は深き紅の淵をまとめ

ども。読書エフスキー3世の中の人、野口明人です。

とにかく圧倒されるほどの恩田陸の“本”に対する熱い想いがぎっしり詰まった一冊って感じでした。今までで一番アクが強いんじゃないだろうか。きっとこれは好き嫌いがクッキリとわかれそうな作品。

何でも解決させたくなるのはミステリー・ファンの性である。

って書いてあるんだけど、やっぱりこの作品も今まで通り、モヤモヤで終わります。これはもう恩田陸は意図的に解決させないで終わらせているんでしょうね。

4つの編ではなく、4つの章立てをして書いたのもきっと、なんでも解決させたくファンの思考を逆手に取った書き方なのかもしれません。これはどうしたってこの4つが最後には繋がるって考えてしまいそうな書き方。

最後まで読んで、なんだよ!繋がらねーのかよ!とキレてしまえば、この作品は嫌いな作品になるだろうし、うーん。なんか直接繋がってはないけど、なんか所々リンクしていて無関係とは言い切れないし、フワフワしてんなぁ〜。相変わらず恩田陸だなぁ〜。と思えば好きな作品になるでしょう。

とりあえず僕は続けて恩田陸を読んでいくつもりなので、この作品を検索するとちらほら見えた『麦の海に沈む果実』や『黄昏の百合の骨』とのリンクが楽しみです。伊坂幸太郎の黒澤のように、違う作品に同じ登場人物が出て来るのは結構好きです。

あぁ。読書はいいね。リリンの生み出した文化の極みだよ

読む本に困ったら、とりあえずこの本を読んでおけば、この本の次に読む本は見つかるでしょう。それだけの沢山の作品が紹介されているので、これはある種小説の形をした読書案内と言ってもいいような作品です。

ではでは、そんな感じで、『三月は深き紅の淵を』でした。

ここまでページを閉じずに読んで頂いて本当にありがとうございます

最後にこの本の点数は…

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三月は深き紅の淵を - 感想・書評

三月は深き紅の淵を
3.1

著者:恩田陸
出版:講談社
ページ数:474

三月は深き紅の淵を¥ 720
  • 読みやすさ - 62%
    62%
  • 為になる - 78%
    78%
  • 何度も読みたい - 77%
    77%
  • 面白さ - 82%
    82%
  • 心揺さぶる - 71%
    71%
74%

読書感想文

一つの同じ本を登場させた4つの物語。個人的には第3章が好きなのだが、一番『三月は深き紅の淵を』の存在が稀薄な章でもあるので好きと言っていいものか。4章あるうちのどれかはきっとハマる姿をしているハズ。

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三月は深き紅の淵を_恩田陸
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