シティ・オヴ・グラス - 書籍情報- 著者:ポール・オースター
- 翻訳者:山本楡美子,郷原宏
- 出版社:角川書店
- 作品刊行日:1985/12/01
- 出版年月日:1993/11/10
- ページ数:208
- ISBN-10:4042664016
BOOK REVIEWS
シティ・オヴ・グラスというポール・オースターの小説をご存知でしょうか?彼の2作品目の小説であり、無名の詩人だったポール・オースターを人気小説家に飛躍させた作品の一つだと言われています。
そのシティ・オヴ・グラスを読み終えた時、僕はこう叫びました。
「やっぱり、おもしれー!!!」
なんのひねりもない感想じゃないか?と思われることでしょう。しかし、この叫びは称賛の声というよりも、安心した、良かった!という安堵の気持ちが「やっぱり」に強く含まれているのです。
と言うのも、気に入った作家は、発表順に作品を読んでいくというのが僕の楽しみのひとつなのですが、前回読んだポール・オースターの処女作『孤独の発明』があまりにも奇抜な作品過ぎて、もしこんな感じの作品が次も続くようならポール・オースターはもう無理かも…と思っていたからです。
『孤独の発明』を読むのに2週間。『シティ・オヴ・グラス』を読むのに2日間。明らかにポール・オースターの書き方は変わりました。読みやすいのです!ページめくりが止まらないのです!!
だがしかし。
もしあなたに『シティ・オヴ・グラス』はオススメ出来るか?と聞かれたなら、僕はまた考え込んでしまうかもしれません。なぜならこの作品はミステリー小説のようでありながら、ミステリー小説ではない作品だからなのですが…。
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小説『シティ・オヴ・グラス』 – ポール・オースター・あらすじ
著者:ポール・オースター
翻訳:山本楡美子, 郷原宏
出版:角川書店
ページ数:208
ニューヨーク、深夜。妻と息子を亡くした中年推理作家の元にかかってきた一本の間違い電話がすべての始まりだった。私立探偵を探しているという電話。作家クィンはほんの好奇心から仕事を引き受けることにした。依頼内容はある男の尾行。密かにつけてみたけれど、事件は何も起こらない…
読書エフスキー3世 -シティ・オヴ・グラス篇-
前回までの読書エフスキーは
あらすじ
書生は困っていた。「青木まりこ現象って言うんですよ」と仕事中に寝言を言ったせいで、独り、無料読書案内所の管理を任されてしまったのだ。すべての本を読むには彼の人生はあまりに短すぎた。『シティ・オヴ・グラス』のおすすめや解説をお願いされ、あたふたする書生。そんな彼の元に22世紀からやってきたという文豪型レビューロボ・読書エフスキー3世が現れたのだが…
シティ・オヴ・グラス -内容紹介-
大変です!先生!ポール・オースターの『シティ・オヴ・グラス』の事を聞かれてしまいました!『シティ・オヴ・グラス』とは一言で表すとどのような本なのでしょうか?
“現実と創作の混在した探偵小説のような何か”デスナ。
…ん?探偵小説ではないんですか?ぶっちゃけ『シティ・オヴ・グラス』はオススメですか?
それは間違い電話で始まった。真夜中に三回かかってきたが、相手が話したかったのは彼ではなかった。ずっと後になって、このことを考えられるようになったら、彼はすべて偶然にすぎなかったと思うだろう。しかし、それはずっと後のことだ。初めは、ただその事件と、事件のなりゆきがあったにすぎない。違った結果になっていたらとか、また、相手の口から出た最初の言葉ですべては始まっていたというようなことは問題ではない。問題は物語自体であって、それが何かを意味しているか否かは、物語の知ったことではない。
引用:『シティ・オヴ・グラス』ポール・オースター著, 山本楡美子, 郷原宏翻訳(角川書店)
コンナ一文カラ始マル“ポール・オースター”ノ1985年の作品デス。オススメかどうかは自分で読みなサレ。
えーっと、それでは困るのです。読もうかどうか迷っているみたいですので。ちょっとだけでも先生なりのご意見を聞かせていただきたいのですが。
ヨモウカドウカ迷っていると言うことはヨミタイと言うことですからヨメバイイ!
えええい。カタカナばかりでまどろっこしい。失礼!(ポチッと)
ゴゴゴゴゴ…悪霊モードニ切リ替ワリマス!
うぉおおお!先生の読書記録が頭に入ってくるぅぅー!!
シティ・オヴ・グラス -解説-
ども。前回は脳みそが爆発寸前だった私です。
読書エフスキー3世
孤独の発明は、僕が最近どハマリ中の作家、ポール・オースターの処女作という事で手にとりました。気に入った作家は作品発表順に…
いやー、『
孤独の発明』は難しかったですよねぇ…。本当にこれがムーン・パレスを書いた作者なのか!?と疑いたくなるほど、難解でした。
それでも所々面白い所があるから、途中で辞められなかったわけですが。でも安心してください。今回は読みやすいですよ!!
『シティ・オヴ・グラス』がポール・オースターの日本デビュー作なんですよね。
そうです。前作の『孤独の発明』よりも先に翻訳されて日本に入って来ていますね。
ポール・オースターの翻訳者といえば柴田元幸がほとんど行っていますが、この本だけは違う人が翻訳していますね。
山本楡美子と郷原宏の共訳ですね。二人とも詩人でして、今作の訳者あとがきにも…
当時、角川書店の翻訳物担当の編集者だった田上廣氏が、「いっぷう変わった私立探偵小説があるけど、よかったらやってみないか」と私たちにすすめてくれたのは、おそらく私たちがミステリーの翻訳と並行して詩を書いていることをご存知だったからに違いない。つまり、これはあくまでアメリカの無名詩人が書いた「いっぷう変わった」ミステリーだったのである。
p.203
というような事が書かれています。
言われてみれば『孤独の発明』は小説というよりも詩寄りの作品でしたもんね。
ところがどっこい、今回の作品は小説寄りの詩のような作品なのです。まさに一文、一文をじっくり味わうような小説。考えさせられる小説。
一文を味わう…ですか。ジャンルで言うとミステリーなんですよね?
うーむ。まずミステリーの定番、私立探偵物の形をとっていますが、探偵役の主人公が偽物だということです。
ええ。探偵でもなんでもないんです。ミステリー作家ではあるんですが。
でもそういうのもたまにあるじゃないですか。ミステリー好きなおばさんが事件を解決する的なやつ。
そこ。そこなんです。今回の一番の問題点は。事件を解決しないんですよ。
え!?なんすか、そのミステリー。作品としてクソじゃないっすか!?
そもそも事件なんて起きないんです。
えええ!?!?事件が起きなければミステリーでもないじゃないですか。
…なので、難しい所と言ったんですよ。
そもそも事件が起きずに解決もしないミステリーなんて面白いんですか?
それがね、面白いんですよ。『シティ・オヴ・グラス』に関して言えば。
じゃあ、ミステリーって紹介しなければいいじゃないですか。
この『シティ・オヴ・グラス』は後に『ガラスの街』として柴田元幸が翻訳して新潮社から販売していまして、当時ミステリーとして紹介された事を憤慨されているようです。
あれ?ムーン・パレスのあとがきでは『シティ・オヴ・グラス』があったからこそ日本でポール・オースターの翻訳本が広まることになったって、柴田さん褒めてませんでした?
そもそもの『シティ・オヴ・グラス』という邦題も次の作品『幽霊たち』の解説で伊井直行という人がほんわり批判しています。
ちなみに今回の角川版は絶版になっちゃいました。
いやー、どうでしょうね。読んでいる分にはそんな事思いませんでしたけどね。契約の問題とかあったんじゃないですか?「日本語版翻訳権独占角川書店」って書いてありましたし、その契約が切れたとか。
ちなみに講談社から『
シティ・オブ・グラス』の名前で漫画化されているんですね、この小説。コミックで読む、ミステリーの傑作なんて紹介されていますけど。
あー「ヴ」じゃなくて「ブ」なんですね漫画版は。それにしても柴田訳で読みたいっていう人が多く目につく作品ですね。
やはりBABEL国際翻訳大賞を受賞したのはだてじゃないんじゃないっすかね。翻訳会の現人神とか言われちゃっていますし。
つまりはこの翻訳が悪いわけではなく、柴田訳が良すぎるということなんでしょうね。まぁ、でも私は前作『孤独の発明』を読んで思いました。どれだけ翻訳が良くても難しい内容のものは難しいし読みづらいと。
それは逆説的にどんな翻訳でも優しい内容のものは優しいし読みやすいという事ですか?
まぁ、今回で言えばそういう事になるんじゃないでしょうか。私は読みやすく感じました。
では簡単にあらすじを。主人公はダニエル・クィンという推理小説家です。ウィリアム・ウィルソンというペンネームで1年に1作のペースで作品を書いているようです。
ウィリアム・ウィルソン。あれ?エドガー・アラン・ポーもそんな名前使っていたような…。
愛する妻と息子を失い孤独な生活を送り、趣味と言えば散歩をすること。途方もなく散歩をする。
ポール・オースターの作品は家族を失った設定が多いですね。
『孤独の発明』にも書かれていましたが、ポール・オースターの根本にはそれがあるんでしょうね。
そんなクィンの元に深夜、3度電話がかかってきます。
その相手が言うわけです。「ポール・オースターさんですか?」と。
この作品の特徴のひとつとして、現実と虚構の境界線が薄いという所がありますね。
これは自伝ではない。僕自身をモデルにして、自己というもののなりたち方について探った作品、と考えてほしい
p.199
引用:「孤独の発明」ポール・オースター著,柴田元幸翻訳(新潮社)
『孤独の発明』の事をこんな風に語っていましたよね。
だから今回も自分自身をモデルにして、自分自身の名前を借りて、作品に登場させるっていう面白い事をするんです。
もうすでに頭の中がこんがらがって来そうなんですが、ウィリアム・ウィルソンというペンネームで活動しているダニエル・クィンが電話を受け取って、ポール・オースターさんですか?と聞かれたという話で良いんですよね?
ええ。しかも何度間違いだと言っても相手はポール・オースターですよね?と話を聞かない。そこでクィンはポール・オースターですと答えてみることにした。
なぜそこまでポール・オースターを求めていたんでしょう?
話を聞くところによると、ポール・オースターとは巷で有名な探偵事務所のようです。電話の相手は命を狙われているらしく、しかし相手がどこにいるかわからないから相手を探してほしいとの事。
ふむ。ポール・オースターは探偵事務所っと(メモメモ)。
詳しく話を聞こうにも電話では危険だと言われたので、クィンは後日、その電話の相手と会うことになります。
家に行ってみると電話の相手は不思議な喋り方で演説を開始。名前はピーター・スティルマンというらしいのですが、父の名前もピーター・スティルマンだと言うのです。
その父ピーター・スティルマンは刑務所に入っていて、近々出所してくると。そしてきっと自分を殺しにやってくる。そうならない為に、ポール・オースターにはピーター・スティルマンを発見してもらって、監視して欲しいとの説明でした。
詳しい事情は省きますが、息子ピーターの話を聞いて心が動かされたクィンは、ポール・オースターとして、今回の仕事を引き受けることにしました。
引き受けるって、探偵ってそんな簡単に出来るもんなんですか?
当然クィンは、犯罪について一般人並みの知識しかありません。私立探偵に関しても本や映画や新聞で触れた程度です。
しかしもはやウィリアム・ウィルソンとして書いている推理小説の主人公、マックス・ワークはクィンの体の一部になっていました。ワークならどう行動するだろう。そう思いながらポール・オースターとしてピーター・スティルマンを調査することになるのです。
ん!?また名前が!えーっと、クィンはポール・オースターで、マックス・ワークは体の一部で、ウィリアム・ウィルソンは偽名で…
わかりやすく言えば樹林伸さんが、天樹征丸という名前で金田一少年の事件簿の原作を書いているんですが、金田一少年ならどうやって考えるかなぁ〜と考えながら名探偵コナンを演じているようなものですね。
ま、そんな感じでクィンが私立探偵のようなものを始めて、ピーター・スティルマンを追いかけるという物語です。
あれ?でも先生、事件は起きないんですよね?これから進展するんですか?
まぁ、そこは読んでからのお楽しみという事で。
この本の特徴はですね、コミュニケーションの欠如から来る不思議な雰囲気ですかね。
普通、物語って主要な登場人物がいて、主人公と共にそれらの人物たちが語り合って話を進めてくじゃないですか。
でもこの作品はどちらかと言うと会話のキャッチボールがあまり繰り広げられないんですよ。会話しているはずなのに誰かの演説を横で聴いているみたいな。
というよりみんなキャラが濃いはずなのに、登場回数が1回か2回しかない。
逆に言えば、1回か2回しか登場しないのに、強烈な印象を持つキャラクターが多いって事なのかもしれませんが。
ふむ…。なんだか徐々に事件が起きないという事がどういう事のなのか想像がついてきました。
一人一人が自分を持っていて、自分を探している。孤独とアイデンティティが根底にあるテーマなんだと思います。
『孤独の発明』で語っていた事が反映されているんですね。
また、この作品はメタ要素やらメタ発言が多い所も注目です。
メタ要素?メタファーって良く聞きますが、なんでしたっけ。
メタファーは日本語で言えば隠喩ですか。メタは、わかりやすく言えば「ひとつ上の(次元)」って感じでしょうか。
例えば漫画のキャラクターがすごく大きな事件に巻き込まれて、シリアスなシーンがあるとしましょう。そのキャラクターがこんな事を言うわけです。「まさかこんな漫画みたいな事が起こるなんて!」
あー、そういうのありますね。いや、これ漫画やん!って。
ポール・オースターはキャラクターに様々な言葉を喋らせるわけですよ。含みを持った感じで。『
ドン・キホーテ』って小説について語っている所があるんですがね。
あー、The 100 Best Books of All Timeで第一位に選ばれた小説ですね。あれも本の読みすぎで現実と物語の区別がつかなくなった人の話ですよね。
『ドン・キホーテ』という作品はメタフィクションが多く導入されている事で知られています。セルバンテスが作者なんですが、小説の中では、シデ・ハメーテ・ベネンヘーリが原作者という事で紹介されています。
なるほど。メタというのは小説の中の小説、ひとつ上の次元ってそういう事ですね!?
この作品の中でドン・キホーテについて語っていながらも、『シティ・オヴ・グラス』についても隠喩として語っていることになります。
ポール・オースターという名前を登場させたのもそういう意図があるんですかねー。
200ページちょっとの作品ですけど、一つ一つの文がぎゅっと詰まっていて、面白い作品でした。
お、200ページ程だと、手頃でいいですね。ここの所分厚い本などばかり読んでいるので気分転換に読んでみようかな。
それにしてもポール・オースターの本を読んでいると紹介されている本を無性に読みたくなるんですよね。積み本が増えて仕方がありません。今回は『
ドン・キホーテ』とジョン・ミルトンの『
失楽園』を追加です。
六畳一間の部屋だと新築でも9000冊以上で床が抜けるらしいですよ。気をつけましょうね。
私はロボなので、電子書籍でデータとして読みます。だから大丈夫なのです。
電子書籍か。便利だな。僕は未だに紙で読み続けていますよ。本に囲まれていないと気持ちが落ち着かなくて。
きっとその部屋に行ったらトイレに行きたくなりますね。
あ、それって青木まりこ現象って言うんですよ、知ってました?
批評を終えて
以上!白痴モードニ移行シマス!コード「ケムール・ボボーク・ポルズンコフ!」
「青木まりこ現象って言うんですよ」…って、あれ?僕は一体何を…。
何をじゃないよ!仕事中に居眠りこいて!なにが「青木まりこ現象」だよ。古本店街の神保町行ってみなよ。社会問題になってるぞ!
え?あれれ?読書エフスキー先生は?
誰だそれ。おいおい。寝ぼけ過ぎだぞ。罰として一人でここの案内やってもらうからな!
えーっ!?一人で!?で、出来ないですよ〜!!
寝てしまったお前の罪を呪いなさい。それじゃよろしく!おつかれ〜
ちょっ、ちょっと待って〜!!…あぁ。行ってしまった。どうしよう。どうかお客さんが来ませんように…。
…あのすいません、シティ・オヴ・グラスについて聞きたいんですが。
(さ、早速お客さんだーっ!!ん?でも待てよ…)いらっしゃいませー!ポール・オースターの2番目の作品でございますね。おまかせくださいませ!
あとがき
いつもより少しだけ自信を持って『シティ・オヴ・グラス』の読書案内をしている書生。彼のポケットには「読書エフスキーより」と書かれたカセットテープが入っていたのでした。果たして文豪型レビューロボ読書エフスキー3世は本当にいたのか。そもそも未来のロボが、なぜカセットテープというレトロなものを…。名言や気に入った表現の引用
「一杯の茶を飲めれば、世界なんか破滅したって、それでいいのさ。by フョードル・ドストエフスキー」という事で、僕の心を震えさせた『シティ・オヴ・グラス』の言葉たちです。善悪は別として。
神って、おかしな言葉ですね。ひっくり返せば犬ですよ。でも犬はおよそ神に似てませんよね? ウーウー。ワンワン。これは犬の言葉です。美しいですね。かわいくて純粋です。ぼくが作る言葉みたいです。
p.31
顔の表情の中で目元の特徴は決して変わらないものだというのをどこかで読んだことがあった。子供のときから老人になるまで、目は変わらない。だから、それを見つけるだけの頭があれば、理論的には少年時代の写真から同じ目を持った老人を探し出すことができる。
p.82
町歩きは、自分の内部と外部の結びつきを理解させてくれた。うまくいった日には、目的のない散歩を気分転換に利用し、外部を内部に取りこんで、内部の主権を奪うことができた。自分を外部のものでいっぱいにする、「つまり自分から自分を引っぱり出すことによって、ある程度、憂鬱な気分をコントロールしようとした。それゆえに散歩は無心そのものだった。
p.92
あんたもご存知のように、言葉は変化しうるものだ。問題はそれをいかに論証するかということだ。そのために、わしは今、一番単純な方法で仕事をしているわけだよ――子供でも、わしの言ってることを理解できるような単純な方法だ。あるものをさす言葉を考えてごらん――たとえば、〈傘〉だ。わしが〈傘〉と言ったら、あんたの心の中にその像が浮かぶ。真ん中に杖のようなものがあって、折りたたみ式の金属のスポークがついていて、その天辺に防水材でできた覆いがある。それを開くと、雨から身を守ってくれる。大事なのは最後の部分だ。傘は単なる物であるだけでなく、ある機能を持つ――言い換えれば、人間の意志を表現するものでもある。そこで改めて考えてみると、すべてのものは、ある機能を提供するという点で傘に似ている。鉛筆は書くためにあり、靴は履くためにあり、車は乗るためにある。問題はまさにここにあるんだ。物がもはや機能を果たさなくなったとき、どうなるか? それは依然として一つの物であるのか、それとも別のものになってしまうのか? 傘から布をはがしてしまっても、傘はやっぱり傘なのか? 布のついていないスポークを開いて、頭上にさし、雨の中を歩き、ずぶぬれになる。それでも、この物体を傘と呼べるのか? 通常、人々はそう呼ぶだろう。ぎりぎりの段階になって、その傘は壊れていると言うだろう。わしにいわせれば、これは大変な間違い、あらゆる問題の元凶なんだ。なぜなら、それはもはや機能を果たせないから、傘が傘であることを止めたからだ。それは傘に似ているかもしれない。かつては傘であったかもしれない。しかし、もうそれはほかのものに変わってしまっている。しかしながら、言葉はそのまま残っている。したがって、言葉はもはやその物を表すことはできない。それは不正確である。間違っている。表わすべき物を隠している。もしわれわれが毎日手にする生活用品にさえ名前をつけることができないとしたら、真にわれわれと関係のある物について話すとき、われわれはいったいどう表現すればいいんだ? われわれが現に使っている言葉の変化をはっきりさせない限り、われわれは路頭に迷い続けるだろう
pp.116-117
調子のいい日もあれは悪い日もある。悪い日がくると、良かった日々を思う。記憶とはすばらしいものだよ、ピーター。死の次にいいものだ。
p.128
嘘は絶対に取り消せない。あとで本当のことを言ってもどうにもならない。
p.131
音楽に浸りきること。その反復演奏の輪の中に引き込まれること。そこはおそらく存在が消滅する場所なのだ。
p.168
ボードレールは言った。「私がいないところでは、私はいつも幸せだろうと思われる」もっと率直に言えば、私がいないところこそ、わたし自身のいるところだということになる。牡牛の角をつかむように思い切って言えば、世界にないどこか、ということだ。
p.170
一回の食事は、次の食事の必然性に対して消極的な防御でしかなかった。食物そのものは決して食物の問題を解決しない。つまり答えを出すべきときを先へ延ばしているにすぎない。従って、最大の危険は、食べすぎることだった。一度に必要以上に食べすぎると、次にはもっと食欲が増進し、こうしてますます食べなければ満足できなくなる。
p.175
彼は頭上に楽しみを見出した。つまり、空はいっときも静止していないということがわかった。雲ひとつなく、青空が広がっている日でも、必ずちょっとした変化や擾乱があった。空が澄んだりどんよりしたり、いきなり白い飛行機や鳥や紙切れが飛んだりした。雲はその絵を複雑にした。
pp.179-180
仕事が忙しすぎて、自分のことを考える余裕がなかった。自分の外観などという問題は存在しないに等しかった。そして今、店の鏡に映った自分を見て、彼は衝撃も失望も感じなかった。まったく何も感じなかった。なぜなら、彼はそこに映っている人間を自分だとは思わなかったからだ。
p.182
初めのうちは、立ち上がって窓の外を見ようかとも思ったが、そのうちにどうでもよくなった。今、夜でなくても、そのうちに夜になる。それははっきりしている。自分が窓の外を覗こうと覗くまいと、結果は同じことだ。反対に、今、このニューヨークが夜であれば、太陽はどこかほかのところを照らしているはずだ。たとえば、中国。そこでは今がまさしく真昼で、農民が田んぼで額の汗をぬぐっているだろう。夜と昼は、いわば相関関係にある。一方だけでは成り立たない。いついかなるときでも、二つで一つだ。われわれがそのことをよくわかっていないのは、同時に二か所にいられないからにすぎない。
p.194
引用:『シティ・オヴ・グラス』ポール・オースター著, 山本楡美子, 郷原宏翻訳(角川書店)
シティ・オヴ・グラスを読みながら浮かんだ作品
著者:ポール・オースター
翻訳:柴田元幸
出版:新潮社
ページ数:532
あれ?ポール・オースターの『ムーン・パレス』ですか。
ラストの方の展開とかムーン・パレスの最初の方に似ていて、そうそうポール・オースターといえばこういうのだよ!と思いました。
レビューまとめ
ども。読書エフスキー3世の中の人、野口明人です。
シティ・オヴ・グラスはニューヨーク三部作の最初の作品なので、残りの『幽霊たち』『鍵のかかった部屋』もものすごく楽しみに思える内容で良かったです。
ぶっちゃけ『孤独の発明』では、ちょっとだけ読書の心が折れそうになったので。シティ・オヴ・グラスの方が先に日本に入ってきたのも理解出来るような気がします。
それにしても、海外の小説を読むときは翻訳者の違いを楽しむということもあると思いますが、絶版になってしまった今回の山本楡美子と郷原宏の共訳である角川版。僕は悪くないんじゃないか?と思いました。
良いとされている柴田元幸訳の『ガラスの街』は簡単に手に入りますが、古本屋さんなどで『シティ・オヴ・グラス』を見つけた場合はぜひ、角川版の方も手にとってみてくださいませ。
ちなみに今作を含めたニューヨーク三部作は、イギリスの大手新聞社であるガーディアン紙が選ぶ「死ぬまでに読むべき」必読小説1000冊のCrime部門に選ばれておりました。
…1000冊かぁ。ほとんど読んでないから、読み終わる前に死んでしまうだろうなぁ。それにしても日本語に翻訳されていない作品って結構多い事にビックリ。
そう考えると、山本楡美子さんと郷原宏さんの本があったからこそポール・オースターが日本に入ってきてくれたのであって、感謝せねば。
あと1000冊の中にラインナップされていた日本人の作品は全部で7冊でした。1000冊の1%にも満たないって所が悔しい所ですが、日本語の作品ってどんな感じで選定されて翻訳されるんだろうね。
このラインナップを見るとノーベル文学賞付近の匂いがぷんぷんするけれども。やはり海外にも柴田元幸のように神翻訳家と呼ばれる存在がいるのだろうか。芥川龍之介のファンとしては、彼の作品が入っていないのが残念だなぁ〜。
海外の翻訳家の人、良かったら日本の作品をどんどん世界に広めちゃってください。
ではでは、最後の方は1000冊に対する話ばかりになってしまいましたが、『シティ・オヴ・グラス』でした。
ここまでページを閉じずに読んで頂いて本当にありがとうございます!
最後にこの本の点数は…
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シティ・オヴ・グラス - 感想・書評
著者:ポール・オースター
翻訳:山本楡美子, 郷原宏
出版:角川書店
ページ数:208
シティ・オヴ・グラス¥ 420
- 読みやすさ - 78%
- 為になる - 76%
- 何度も読みたい - 81%
- 面白さ - 87%
- 心揺さぶる - 76%
80%
読書感想文
何か起こりそうなのに何も起こらない。しかしそれでも充分に面白い。ミステリーではなく、アイデンティティとは一体なんなのか?を考えさせる哲学書のようなものとして読むと非常に面白い作品だと思います。自分探しの旅に出ている人とかが読むと良いかも。ページ数も少ないし、電車に揺られて読んでみよう。